小京都とも呼ばれる人吉の町。そして町を流れる球磨川のほとりに「人吉城」がある。。別名「繊月城」ともよばれている。
 歴史は35代、670年にわたる相良氏の居城で5代相良長頼の頃、城の拡張工事を行った際に、三日月紋の奇石が見つかったため、「「繊月城」の名が残っている。
 熊本から宮崎に行く途中に高速道路を降りて、城跡をあるいてみた。夏の終わりの歴史の散歩であった。

   夏がゆき 栄華の夢に 石畳
 

交通

:[鉄道] JR肥薩線、人吉駅下車、徒歩25分。
 [自動車] 九州自動車道人吉IC下りてすぐ       無料駐車場有り。乗用車50台。
   
 
 
 本丸跡となっていたが、天守閣はなかったようだ。
   相良氏は、鎌倉時代の元久2年相良長頼が人吉庄の地頭になり遠江相良から移り、代々人吉を領し明治まで続く極めて希な領主である。

 戦国時代、相良氏は佐敷城を拠点に芦北郡一円を支配するまで勢力を拡大していたが、島津義久の北上により、18代義陽はその支配下に入った。

 この頃、義陽は人吉城をの大改修を初め、城の近代化に着手した。(城の完成は、80年後の寛永16年、21代頼寛の時)

 20代相良長敏は、秀吉の九州征伐の時にはいち早く秀吉に臣従し、22,000石の本領安堵を得、慶長5年の関ヶ原では、最初西軍に加担したが、東軍に寝返り本領を維持した
 
 立派な石畳が昔の栄華を忍ばせる。
 二の丸跡には木々が茂り、ひんやりと。
  城址から非tぴょしの町を望む。
   井戸の跡  


トップへ     王国の扉へ      ロマン街道トップ へ